真夏の夜のアスタナへ
八月の深夜、私はカザフスタンの首都・アスタナに到着し、我先にと入国審査へ走る屈強なカザフ人たちの後塵を拝してから、タクシーで街中に向かった。
一九九七年、カザフスタンがソ連から独立してまだ日が浅い頃、政府はウズベキスタンに近い南方のアルマトイからこの街に首都を移転させた。
都市としての確たる基盤もなかったアスタナを、新首都として一から創り上げるのに主導的な役割を果たしたのは、政府主催の国際コンペで一等を獲得した黒川紀章である。
この街に来た目的はただ二つ、この著名な日本人建築家の最大の作品である新首都を体感すること、そしてカザフスタンの上等な馬肉料理を賞味することだ。
アスタナの夜は夏でも寒い。タクシーが街中に近付くにつれて、私に新鮮な喜びをもたらしてくれたのは、景観が体現するコスモポリタニズムである。
車窓の両側では澄み切った冷たい空気の中に摩天楼が櫛比し、その稜線を電球が闇の中に浮かび上がらせている。
しばらく進むと突如ヨーロッパ風の白い瀟酒なビルに囲まれた十字路に出て、その中心には凱旋門が鎮座している。市街地はその先に広がっている。
アスタナの中核を成す細長い独立広場に近付くと、北京の天壇のようなピラミッド状の建築を頂いた高層ビルが見え、最後に聖火リレーのトーチに似た小ぶりのタワーが現れる。これが首都のシンボル、バイテレクだ。
三十分の移動のうちに世界が視界を一直線に掠め、その終着点にはカザフスタンの象徴が鎮座している。極めて鮮烈な視覚的メッセージだ。
独立広場に面したホテルにチェックインしたのち、少し休んでから夜十時くらいに街中へ出る。目的は現地らしい食事を出しているレストランへ向かうことだ。
ホテルの辺りを歩いていると、通りに立ち並んだビルの一階では多くのレストランやカフェがまだ営業していて、屋外席まで出しているところもあり、その清潔で賑やかな感じはニューヨークのミッドタウンを思い起こさせる。
花壇に彩られた独立広場では、至るところにアイスクリームの屋台が出ていて、案外多くのカザフ人たちが散歩のついでに買っている。気温は15度前後だったが、緯度が高くロシアに近いアスタナではこれが夏の盛りで、アイスクリームを食べるなら今しかないのだろう。
Saksaulで現地の肉料理を食べる
目当てのレストランは独立広場に近いビルの一階にある。店名はSaksaulで、中央アジアの砂漠に生えている低木を意味しているらしい。
内装は西洋風のモダンなもので、そのままロンドンあたりにあったとしても違和感を覚えない。柔らかい照明や調理音の優しい響きが与える暖かさは、寒空に光る電飾の白々しさとは対照的だ。
私のテーブルに付いたウェイターは二十代前半くらいの女性で、お下げ頭に卵形の顔が溌剌とした印象を与える。注文を取りに来ると”What would you like?”と言った。
英語だ!旧ソ連加盟国の首都で耳にするとは予想外だ。私が直前まで滞在していたウズベキスタンの首都・タシケントを覆っていたソビエトの雰囲気−−老朽化した巨大かつ単調な建築が醸し出す沈鬱、そして一度ホテルを出れば誰もが話しているロシア語−−は、アスタナでは綺麗に払拭されているかのように思われた。
料理は遊牧民族国家のカザフスタンらしいものが目白押しで、いずれも試したことがないものである。
最初に頼んだのは自家製のラクダ乳酒で、その名の通りラクダのミルクを微発酵させ、わずかなアルコールを含ませたものである。馬乳酒もメニューにあったので悩ましかったが、ウェイターのお姉さん曰く、こちらの方が酸っぱくないので初心者向けだという。
グラスで出てきた乳白色のラクダ乳酒はとろりとした質感で、上に泡が浮かんでいるのが発酵酒らしい。一口飲むと微かな炭酸が口を刺激するものの、元々がミルクなので滑らかな舌触りである。
飲み込んだ瞬間にかなり草っぽい臭いが込み上げてくるのだが、最後は軽い酸味とミルク特有のコクが余韻を響かせる。ミルクを飲んでいたらラクダのむさ苦しい顔が一瞬脳裏をよぎるかのような奇妙な味わいだが、不思議と胃腸がすっきりするので食事にふさわしい。
続いて来たのは餃子のスープである。間違いなく中国文化の影響を受けている料理で、餃子は申し訳程度に挽き肉が入った小さなものだが、羊を前面に打ち出したスープがカザフスタン流で斬新に感じる。
骨から出た力強い旨味が全体に染み渡っていて、羊の良い味を可能な限り純然な形で引き出せるように、香味野菜は恐らく人参のみか、あるいはそれに玉ねぎを加えた程度で、使い方に抑制が効いている。
仕上げには刻んだディルを浮かべているのだが、これがただのお飾りではなく、ともすれば重厚すぎる羊の味わいに生気あるハーブの香りを添える重要な役割を果たしている。
しっかり塩分が効いたスープだが、寒い日に食べると抜群に美味い。良い食材に最低限の手を加えて最善の味を目指す日本料理的な哲学が、全く違った形でカザフスタンにも通じているように感じられた。
本日のメインは馬肉のシャシリクにした。要するに串焼きのことだが、ケバブ文化の総本山であるトルコや、隣国のウズベキスタンでは馬肉を使っているのを見たことがなく、これはカザフスタン特有の料理だと思う。
馬の筋肉質な見た目とは裏腹に、牛ヒレ肉に似て柔らかく淡白なのだが、最後に舌を掠めるのは上等なマグロの赤身のように豊かな血の味である。
冷めると固くなってしまうのが惜しいが、焼き立てを貪る分にはなかなか美味しい。ウズベキスタンでの食中毒が治ったばかりで胃が弱っていたのに、結局は満腹になるまで食べ、大いに満足してホテルに戻った。
アスタナの街を散策する
翌朝はホテルの最上階で朝食を取った。会場は銀座スカイラウンジに似たドーム状になっていて、少し汚れたガラス窓からアスタナの街をぐるりと見渡せる。眺めは完全にクリアではないものの、それでも澄み切った青空の下に多種多様な高層ビルが広がる様は壮観だった。
コーヒーをすすり、疲労でぼんやりとした脳にカフェインが効くのを待つ間、そぞろに街の景色を見ていて蘇ったのは幼時の思い出だった。
昔、島根で個人の電器店を営んでいた祖父の古いミニバンには、いつも同じティッシュ箱が置いてあった。その箱は21世紀の未来と題されていて、ガラス張りの摩天楼の中を道路が縦横無尽に飛び交い、その中を赤い車が走り抜けている光景を描いていた。
祖母に尋ねても、その箱はいつから置いてあるのかも分からないほど長年車内に置かれていたが、十五年ほど前に祖父が車を買い替えた際、ついに捨てられてしまった。
あの祖父のミニバンにあったティッシュ箱の未来が現実となって立ち現れたように思われるのは、世界中の建築様式を拝借した建築群が、かえって総体としてアスタナの景観を無国籍にしていることが、どの文化に所属しているとも思われない、あのティッシュ箱の未来予想図に似ているからなのだろう。
そして、この街がまさに過去の一時点において想定された未来−−それも日本人の黒川紀章によって描かれたもの−−であることが、あの絵と同様に、今現在を生きている日本人の私にとって不思議なノスタルジアを感じさせるからなのだろう。
それからホテルを出て数分歩き、バイテレクに登る。今度は窓ガラスが黄色く、アスタナの景観の青白さが十分に堪能できないのが残念だが、それでもタワーを起点として東西南北に整然と広がる景色を一望できる。
改めて上から街を眺めて思うのは、この街の景観が最もよく分かるのは、中空に座したこのバイテレクからだということだ。
昨晩は気が付かなかったが、広場にある花壇の植え込みがカザフの民族的模様と思しきデザインを示していることが分かる。通りで何気なく見ていたビルの一群も、さながら中学受験の算数における立体の体積計算問題のごとく、直方体をある平面に沿って切断したデザインだったことに気付く。
この都市を貫くのは、歩行者の水平的視線のみならず、設計者の垂直的視線でもあるのだ。
しかし、この垂直的視線を支えているのは、圧倒的な国家権力である。展望台の頂上に祭壇のごとく安置されている、初代大統領ナザルバエフの金色の手形が、その事実を雄弁に物語っている。
展望台から手形にかけては階段が繋がっていて、アスタナの中産階級と思われる、生活に余裕のありそうなカザフ人の家族連れが行列を成している。そして彼らは順番が廻ってきたら自分の手をナザルバエフの手形に合わせて記念写真を撮っている。
はたから見れば紛うことなき信仰の儀式だが、カザフスタン人の過半数はムスリムである。本邦では、かつて千利休の木造が大徳寺の山門に安置されたことが、私はお前の足下を通らなければいけないのかと秀吉を激怒させ、結果的に利休の自害を招いたなどと言われている。
同じように、バイテレクはアスタナ市内の壮麗なモスクを傲然と見下ろしているが、これがカザフ人の生活に自然に溶け込んでいるのは実に奇妙に感じられる。
結局、黒川紀章が設計したアスタナのコスモポリタニズムは、ソビエトの崩壊によって生じた権力の空白がブラックホールのように引き込んだのではなく、その空白を埋めたナザルバエフと手を取り合って存在しているのだ。
テント型のショッピングモールで童心に返る
今度は独立広場の終端まで進み、その先にあるテント型のショッピングモール、Khan Shatyrに向かう。あれだけバイテレクを批判的に見ていたくせに、目的地に近付くにつれてやはり感心してしまうのは、複数の建築が視界の中で調和して一つの美観を呈するように、徹底的に計算されていることだ。
広場の終点はラウンドアバウトになっている。正面では悪の結社のアジトめいた国有企業のビルが横に長々と広がっているが、中央がすっぽりと空いているのでテント型のモールをぐるりと囲んだように見える。手前では道路が綺麗に並行し、真下では大きな噴水が腰を据えている。
国有企業のビルを通り抜けようとすると、建物が空気の流れを左右に遮る分、中央では冷たい向かい風が猛烈に吹いており、私の身体は冷え切ってしまった。当然のことだが、広場を振り返ると今度はバイテレクが綺麗にビルの間に挟まっていて、思わずチクショウと言いたくなった。
件のモールはイギリスの著名な建築家、ノーマン・フォースターによる作品だそうだが、建築に疎い私にはただのテントにしか見えない。
出雲市や千葉の多古町のような日本の地方都市でも、多少はしょぼいにせよ、似たようなドーム状の建物を見たことがある。
したがって新鮮な驚きはないが、しかしこうした建築がショッピングモールになっているのは初めての経験だ。最上階の五階には温室プールがあり、寒冷な内陸の首都に海の安らぎをもたらすべく、モルディブから砂まで運んで来ているらしい。
店舗のラインナップもある程度の購買力がある客層を想定したものになっていて、この街の発展ぶりを改めて肌で感じる。
このモールが面白いのは屋内に遊園地があるところだ。日本人に馴染み深いのは昭和のデパートの屋上のそれかもしれないが、ここには建築そのものを活かしたアトラクションがある。
一階の中央にはテントの頂まで届くフリーフォール型のアトラクションが設置されていて、屋内の賑わいに乗客の絶叫を添えている。四階は丸ごと遊園地になっており、大のおっさんたちがゴーカートを真剣に乗り回して接触事故を起こしているばかりでなく、自動車を模したモノレールがフロアの外周を沿う形でゆっくり動いている。
私もつい童心に返ってモノレールに乗ってみたが、最初にコンテナのような空間に何度か突入し、それぞれ内部はパリ、ロンドン、東京などを再現したことになっている。
オー・シャンゼリゼのように各国を代表する音楽が流れている中で、エッフェル塔やら何やらの情けないミニチュアが展示されている。
その後はフロアの手すりに沿って進むのだが、車体が微妙に外側に傾いているうえ、安全装置は微妙に下がりきらないバーしかなく、目下に一階を眺めながら絶妙なスリルを感じることができた。
モールの景色を堪能するためのアトラクションなど、世界広しといえどもここしかないのではないか。
LINE BREWで馬肉のステーキを頬張る
夕食は懲りずに馬肉を食べようと現地の人気店・LINE BREWに向かった。川沿いの洋館めいたホテルの下層階がレストラン街になっており、店はそこに入っている。
カザフ料理の専門店かと思いきや、ステーキ専門店が馬肉も扱っているだけのようで、メニューの大半はビーフかラムだった。私は馬肉のフィレ肉をレアで頼んだ。ほのかに赤い拳大の肉塊が出てきたが、人生で初めてこのサイズの馬肉を見たので面食らってしまった。
ステーキの味そのものは前日のシャシリクと大差なく、ほのかに血の味を含んでいるが、ステーキは切って食べるうちに冷めてしまう。そのまま食べられるシャシリクの方がやはり美味で、現地に根付いた食べ方を選ぶに越したことはないと悟った。
夜十時にホテルに戻るが、施設が老朽化しているので暖房が十分に効かない。ホテルのフロントに相談したらオイルストーブを持ってきたが、しばらく点けてコンセントを抜こうとした時に、ケーブルが溶けて落ちたので使えなくなった。
電話をかけて事態を伝えようとするが、英語が全然伝わらない。とにかく部屋に来てくれと騒いだら、二十代後半くらいの金髪で丸眼鏡のお姉さんが部屋に来た。
彼女はストーブを見るなり仏頂面で「ウェイト、ウェイト」と言った。戦場で負傷兵を運ぶような具合にそそくさと壊れた機械を回収し、また顔色ひとつ変えずにすぐ別のオンボロストーブを持ってきた。ソビエトはここに生きていると思った。
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