台北郊外・新北市三重のお手頃グルメ

 私は2024年最初の1カ月を台北で過ごした。記録的な寒波に襲われた昨年末の上海では、誰もがマスクを着用せず、なおかつ不真面目に手洗いをするのでインフルエンザが大流行しており、私は年末に2回感染してしまい、日本の年越しも散々なものとなってしまった。

 そこで、比較的温暖な気候の台湾で年明けのひと月を過ごし、ついでに語学学校で中国語の会話を練習することにした。

 台湾は素寒貧の食いしん坊にも手を差し伸べてくれるありがたい場所である。イタリアやモロッコで人間らしい旅行に出たのも今や昔、度重なる転居に貯金を使い果たした私たち夫婦は、再びその日暮らしに戻ってしまい、ある程度きちんとしたレストランに足を運ぶのも週一が精一杯になってしまった。

 しかし、外食文化が発達している台湾では、夜市に行けばコンビニより安く様々なグルメにありつける。

 例えば、日本で最も著名な台湾料理の一つである滷肉飯はとりわけ安く、恐るべき円安に見舞われている現在でさえ、三百円も出さずに大きな丼で一杯食べることができる。

 だから、われわれ夫婦がこれまでで最もお金のない一ヶ月を台湾で過ごした間も、思いのほか食生活は充実していた。

 私たちが滞在していた街は、台北市に隣接する新北市の西側にある三重区である。二つの都市はゆで卵における黄身と白身のような位置関係にあり、首都の台北市をぐるっと囲む郊外がそのまま新北市である。

 なので、新北市は東西南北に広がっており、各地域に共通した性格を見出しづらいものの、我々が滞在した三重区にはどことなくアブナイ雰囲気が漂っている。

 事実、昔はマフィアが跋扈した地域らしく、今でも夜市を歩いていると、男性のタンクトップから刺青がこぼれている微笑ましい光景が目にできる。

 ただし、台北市の発展がその裾を三重区にも拡げつつあるので、街中には現代的なカフェがあるし、犯罪の危険を感じることも特になかった。

 そんな三重区のグルメはお手頃で、したたかで、元気いっぱいである。この記事では、主にMRTの三重国小・台北橋駅近辺で、気に入ったグルメを一挙に紹介したい。

福星園(朝食)

 台湾にはたくさんの朝食屋があり、お手頃に軽食を取ることができる。三重区で特におすすめしたいのは、六十後半くらいの夫婦が二人で切り盛りしている福星園である。

 この店の良いところは、万事において緩慢さと無縁なことである。街中で見かける朝食店には澱んだ雰囲気のところが多い。うなぎの寝床のように細長い造りをしていて、照明もぼんやりと薄暗いので、一日を始めるのにふさわしい溌剌とした感じが欠けている。

 しかし、福星園は路面に向けて大きく開けているし、暖かい照明が燦々としている。店頭の厨房からは調理音が賑やかに響いてくるし、オーナー夫婦はお互いに背を向けているのに相手の動きを熟知していて、オペレーションに寸分の隙もない。

 定休日なしで毎日朝五時半から開店する鬼の働きぶりだから、この夫婦には頭を下げたくなる。

唐揚げトースト。

 福星園でお勧めのメニューはトーストである。様々なバリエーションがあり、簡素なものは百円を切るし、豪華なものでも三百円くらいである。

 安いものは二枚のトーストの両面にチョコスプレッドやピーナッツバターを塗っただけで、高いものはトーストを四枚も使ってフライドチキンやらハム、ハッシュドポテトを野菜と一緒に挟んでいる。

 嬉しいのは、何を頼んでも調理が細部まで行き届いていることである。トーストの焼き加減は完璧で、ソースやジャムも端まで塗ってある。野菜は新鮮だし、揚げ物はアツアツである。

 高級な素材が使えない朝食店だからこそ、糊の効いたシャツのようにパリッとした二人の仕事ぶりが、他の店と味の質を分けているのだ。

御源包子店(餡まん・肉まん等)

 時間に余裕がない朝や、小腹が空いた時に頼れるのが御源包子店である。何が良いかと言えば、どこからどう見ても、包子を売っていると分かる店構えである。看板には勢いのある書体で「包子饅頭」と大きく書かれているし、店先には大量の棚が並んでいて常に無数の包子を蒸している。

 コンビニのレジで肩身の狭そうな肉まん蒸し器しか見たことがなかった私にとって、呆れるほど単純で豪快な御源包子店の光景は、見るたびに言いようのない快さを感じるものだった。それは吹奏楽部の地味な同級生がコンサートで楽器の本領を発揮しているのを見た時の感覚に近い。

 別に美食という訳でもないが、ここの包子はとにかく大きくて、安くて、種類が豊富である。肉と筍、あんこ、黒胡麻など、どの味を選んでも生地はフワフワとしていて仄かに甘く、たっぷりと入った餡が声高に存在を主張している。それでいて一個百円もすれば買えてしまうのがありがたい。

 三重区に来る前に別の区に住んでいた妻は、節約のために包子を三個くらい一気に食べて一食としていた時期があったそうだが、その頃食べていた包子よりここの方が美味しいという。

 また、予測の付かないタイミングでメニューにない桃まんを蒸し上げていることもある。これは桃型の生地に蛍光色の赤い着色料をベタベタと塗っただけの餡まんであり、私が買った時には蒸しすぎてしまったのか、表面が温泉の地獄のようにボコボコしていた。

 本来おめでたいはずの外観がもはや禍々しくさえなっているのだが、どこか笑って許したくなる愛嬌がある。

今大滷肉飯

 大多数の日本人が知っている台湾の味、滷肉飯の中でも、我々が特に気に入ったのは菜寮駅近くの今大滷肉飯である。ピークタイムを外しても常に外待ちの客が並んでいるが、回転が速いので案外待たない。

 店先には使い込まれたギトギトの寸胴鍋がいくつか並んでいて、店員が注文を受けるとその中から煮えたぎる具材をよそってくれる。その奥ではスペアリブ入りスープ用の古い蓋付碗が棚の上に並んでいて、隣では大きな蒸し器が水蒸気を吹き上げている。

 ここの滷肉飯が美味しいのは、味の輪郭がはっきりしているからである。豚肉のほとんど脂身の部分だけを細切りにして徹底的に煮込んでいるのだが、スープに塩気を効かせているので、脂身のコクを感じさせつつも角が立った味わいになっている。

 滷肉飯は台湾の屋台でも最も安い部類に属する食事なので、大抵の屋台では味の乏しい肉片を曖昧な味付けのスープで煮ているだけなので、ただ油でお腹が気持ち悪くなるだけのことが多い。しかし、今大の滷肉飯は油っこいにせよ、たしかに豚を食べている感覚を与えてくれる。

 さらに心憎いことに、滷肉飯の味が濃い分、付け合わせの料理はあっさりとしていて、全体として食べ飽きないようになっている。

 特に美味しかったのが滷白菜である。適当な大きさに切った白菜に昆布と桜海老を加えただけの煮込みなのだが、クタクタになるまで火を加えた白菜には、ぎりぎり薄すぎない程度の塩気に出汁の旨味が効いていて、滷肉飯の箸休めにちょうどいい。

 肉と炊き合わせる具材が選べるスープも、蛤を使ったと思しき澄んだ貝出汁の中に、ゴロゴロとしたスペアリブと苦瓜やら筍やらの野菜が沈んでいて、優しい旨味が冴えている。

 一食の中で味の濃淡を組み合わせる高度な戦略が、庶民の食事に生きているところに、私は台湾の屋台文化の妙を感じる。

周式燒麻糬

 最後に薦めたいのが三和夜市の餅屋、周式燒麻糬である。燒麻糬は台湾特有の餅菓子で、茹でた餅にピーナッツあるいは黒胡麻の甘い粉をかけたものである。

 この店は親子三代で七十年近く営んでいるそうだが、荒くれ者ばかりの街だったであろう三重区において、一家でこの優しい餅菓子に生活を賭け続けてきたのだから、なかなか果敢である。

 店先の鍋では兄弟と思しき中年男性二人(片方は中川家の剛にかなり似ている)が餅を調理していて、奥でも同じく家族の一員であろう中年女性がひたすら手で餅を成形している。

 ここでは大きな餅が二個、それぞれピーナッツと黒胡麻風味が一組になったものを、二百円弱で買うことができる。

調理の様子。

 この店の燒麻糬の特長は、茹で上げた餅をボウルに移したあと、執拗なまでにレンゲで粉を押し付けてくれるところである。一つ一つの餅は大きいのだが、この過程でふんだんに粉が付くし、何なら皿の上にも粉をかけてくれるので、食べ進めるうちに味の薄くなる心配がない。

 齧ったところに自分でまた粉を付けて食べると、粉にまみれた最初の状態がいつまでも続くかのような具合になって、ささやかな魔術をかけられた気分になる。

 この店のもう一つの柱はお汁粉である。提供しているのは小豆とピーナッツの二種類で、それぞれ紅豆湯、花生湯と呼ばれる台湾の一般的なおやつである。

 いずれも大きな碗になみなみとよそわれて出てくるし、きちんとアツアツである。それぞれ具材が味を失わない程度に柔らかく煮込まれていて、甘さも食べ切った時にくどくならないのがいい。

 テーブルに座ってお餅なりお汁粉なりを食べていると、お店の兄弟が休むことなく汁粉をよそい、餅を茹でてはレンゲで転がしている後ろ姿と、鍋から立った湯気が夜空に姿を消してゆく様子が見える。

 私たちがこの街に滞在したのは、台北を冬一番の寒さが襲った時期で、借りていた古いアパートに暖房はなかった。

 夜半前、室内で冷え切った身体に外套を纏ってすぐ近くのこの店に足を運び、暖かいおやつを食べながらぼんやりと店先の様子を眺めていると、いつかふとした瞬間にこの時に思いを馳せるのだろうという直感が湧いてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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