しばらくブログを更新できていなかったが、私は昨年の後半から上海に居を移している。その理由は、上海に住むことに憧れ続けてきたからという至極単純なものである。こうした軽率な動機が人生の一時期を費す決断に足るものだと理解するまでに、どれほどの時間を無駄にしたことだろうか。
私は相変わらず忙しく過ごしているものの、今はただ日の出の湖面のように清々しい気持ちで、余暇には行きたいところに行き、食べたいものを食べて、読書と美術に耽溺する生活を送っている。この文人ごっこの一端として、中国の八大菜系の一つである淮揚料理の故郷、揚州で美食を求めた記録をここに載せたい。
揚州という街
揚州は江蘇省の北側に位置する都市で、古くから運河の街として栄えてきた。上海から新幹線で二時間ほどで行けるので、週末の小旅行に適した街である。中心部には痩西湖という細長い湖が鎮座しており、その周辺は緑豊かである。
かつて鑑真が渡日前に住職を務めたという大明寺はそのほとりに位置しているが、今では往年の建築技術では絶対に造り得なかったであろう高層の塔がそびえており、そこから街が一望できる。郊外には普請中の新興住宅街が果てしなく続いているものの、折りしも中国経済が不況に喘いでいるからか、私と友人が街外れの鉄道駅から痩西湖に向けて移動している間、恐ろしいほど人の気配を感じなかった。
日本の街で喩えるならば、奈良の周辺に幕張新都心をペタペタと貼り付けたような、どことなく奇妙な発展を遂げているのが揚州である。
我々がこの小旅行で宿泊したのは、国営の揚州迎賓館である。揚州人の江沢民・元国家主席が帰省の度に滞在していたという噂があり、金正日が訪中した際に滞在したホテルでもある。
その割に価格は控えめで、部屋ごとに一泊あたり一万円も出せば宿泊できる。湖畔の一角に立派な宿泊棟がいくつも建ち並んでいるうえ、我々が宿泊した部屋もふかふかのベッドにバスタブが付いており、施設の水準は迎賓館と呼ぶことに違和感を覚えない。
しかし、ここの魅力は何よりも古き良き汚職まみれの中国を想わせる趣向の悪さである。国営企業特有の行き届かないサービスに加えて、やけに広い敷地が全体的に空虚な印象を与えたし、誰も入らない上に湯温がぬるい日本風の温泉施設も、誰か共産党の偉い人が個人的な趣味を反映させたきらいがある。
岸和田だんじりのように野放図な発展を遂げてきた現代中国も、今や成長の曲がり角に差し掛かっており、我々のような一般人がこうした国家的な悪趣味を存分に堪能できる機会は少なくなってきている。
同行した友人もこの瘴気にあたったのか、ホテル内の広大な池を背景にサングラスをかけて佇み、出会い系アプリのプロフィールに使えそうな写真を撮っていた。
揚州の美食
この旅行の目的は、本場・揚州で淮揚料理を堪能することである。どこか俗悪さを免れない今日の揚州とは対照的に、この地に根付いた美食は清雅である。清代に揚州八怪と呼ばれる個性的な文人が輩出したことを思えば、揚州にこのような料理が生まれたことはさほど奇怪ではない。概して油と塩気がきつい中華料理において、淮揚料理は稀有なことに上品なものが揃っていて、上海で塵芥にまみれた私を喜ばせてくれる。
我々が足を運んだのは揚州宴という湖畔のレストランで、日本ではまず見かけない大箱ぶりに圧倒された。一棟のお屋敷が丸ごとレストランになっていて、中では見渡す限りテーブルが並んでいる。また、なぜか土日のディナータイムには北朝鮮のお姉さんが踊りを披露しているらしいが、ついぞ見る機会に恵まれなかった。
私はほとんど淮揚料理に関する予備知識がなかったので、馬鹿の一つ覚えで揚州炒飯を注文することにした。運ばれてきたお皿を見て驚いたのが、目に訴えかける美しさである。お米と細切れの錦糸卵が優しく抱き合うように積み重なっていて、その間に川海老や色とりどりの野菜が賑わいを添える様は、さながら錦繍の秋を思わせる。
口にすると舌全体を抱擁するような旨味があり、お米の中から筍や川海老の豊かな食感が顔を出すので、量が多くても飽きずに食べ続けてしまう。本邦では炒飯の食感を巡って、しっとりとパラパラの二大派閥が角逐しているが、お米の粒が立ちながらもふわりとした口触りの揚州炒飯は、その二つを止揚した高みにある。
続いて、淮揚料理の代表格である燙干絲(スープ入りの細切り干豆腐、タンガンスー)を食べる。揚州炒飯に通じる、食材をうず高く盛り付ける美学はここにも生きている。ごま油を浮かべた干し海老入りの鶏ガラスープが高杯に張っていて、細かく刻んだ干豆腐がその中央に太湖石のように積み上がり、糸切り生姜などのあしらいが最上部を飾っている。
この料理にはしみじみとした滋味があり、どれほど食欲のない日でも食べられるだろう。干豆腐は高野豆腐のように完全に水分を抜いたものではないので、豆らしい繊細な味わいと、少し弾力があってキシキシとした食感とが両立している。
口の中では少し塩気の効いたスープが干豆腐に吸われて一体となり、あしらいがごま油のくどさを中和する。この味をいたく気に入った私は、後日上海の揚州料理店で燙干絲を注文してみたものの、本場に遠く及ばない出来栄えだったので、興味があればぜひ一度揚州へ足を運んでほしい。
最後に、恐るべき脇役が点心の翡翠焼売である。日本では七草粥以外でお目にかからないナズナも、江南一帯ではよく食べる食材らしく、スープや炒め物などに使われているのをよく見かけるが、ここ揚州では一つの点心として成立するほどの地位を得ている。それが翡翠焼売で、ナズナを細かく刻んだ餡を包んだ簡潔な一品である。
上等の点心にしかない色気は、我々と具材の間を極限の薄さで隔てる薄皮がもたらしてくれる、もはや淫靡と形容するほかない期待の中にある。そして翡翠焼売はその代表例である。薄皮はぎっしりと詰まったナズナの緑色をほのめかし、頂上では桜色のハムが彩りを添えていて、山里の春のようにほのぼのとした外観を呈している。これを見て食指の動かないことがあるだろうか。
蒸篭が運ばれてきて、待ちきれずに薄皮を噛みちぎった瞬間、じゅくじゅくに蒸し上がったナズナが堰を切って口内に飛び出してくる。微細なナズナの香りを殺さない程度に円やかな塩味の付いた餡が、熱さに耐え抜いた舌にその高雅な味わいを次第に明らかにする様は、さながら江南の運河のように悠然としている。
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