西アフリカ旅行記…①トーゴ入国編、②トーゴ観光編、③ベナン入国編、④水上村観光編(本ページ)
この旅行記もようやく完結である。前回の記事でベナンの首都・コトヌーに到着した我々は、郊外のノクエ湖に浮かぶ水上村・ガンビエを訪れる。ガンビエは18世紀に奴隷貿易・内戦を逃れた人々がコトヌー郊外のノクエ湖に開いた集落で、子孫が現在に到るまで水上の暮らしを続けている。
水上村を目指して
朝、一日貸し切る約束でホテルの前に呼び付けた白タクに乗って、我々はノクエ湖に向かった。ドライバーの名前はカジミールで、この辺りでは善良な白タク運転手として知られているらしい。出発後、幅広の幹線道路沿いに悠然とビルが並ぶ景色を車窓からしばし眺めると、車は未舗装の狭い道路に入った。湖畔のマーケットである。
道路の両脇には様々な物売りが居て、その周りに絶えず人が寄っては流れてゆくので、車は容易に進まない。魚の燻製や、よく熟したトマト、それから捌かれたままに軒先でぶらさがっているウサギが、人ごみと喧騒の間から我々の目に鮮やかに飛び込んでくる。
車はほどなくして桟橋に着いた。水辺にはたくさんの手漕ぎ船が泊まっていて、船頭がガンビエに行く人を呼び込んでいる。事前に手配したガンビエ生まれのツアーガイドと合流し、我々は観光用のボートに乗り込んだ。果ての見えないこの湖で人々が暮らしているという事実がいよいよ真実味を帯びてきて、興奮と旅情が私の芯を捉えた。
湖面で移動中に交錯するボートからは、ガンビエの人々の暮らしが垣間見える。陸地から湖に戻ってゆく住民たち、マーケットで仕入れた野菜を積み込んだ商人、定置網を引き揚げる漁師の親子の姿が、ぽつりぽつりと雄大な水上の世界に現れては遠ざかっていった。
南宋の水墨画だ、と思った。東京国立博物館の蔵品で、男がただ一人小舟に乗って釣りをしている画を見たことがあり、私はこの景色にその作品を思い出したのである。一点だけ違うのは、南宋の水墨画が静謐であるのに対し、ガンビエは活き活きした生活の実感に溢れていることである。
水上村を巡る
ついに水平線の先に人家らしき建物が見えた時の喜びは言うまでもあるまい。程なくして我々は水上に建てられた素朴な小屋に案内された。水深はそこまであるわけではないらしく、細い材木が水面からまばらに顔を出して建物を支えている。
観光ツアーだけあって、ガイドは真っ先に我々をお土産屋に連行したのだった。すぐに気付いたのは、ガンビエはほとんど観光地化されていないということである。売られている品物は、果たして土産物と呼べるのか分からないくらい素朴だった。
誰かが商品を押し売りするわけでもなく、日曜のバザールで見かけるような素人じみた手仕事の品々を淡々と並べている様に、私はかえって好感を抱いた。ガンビエの人々が素直であることを物語っていたからである。
ここで何よりも私の心を惹いたのは、小屋の窓から眺めたガンビエの風景だった。果ての見えない湖面に人家が点在していて、水上の隙間を埋め尽くすように美しい薄紫の花が咲き誇っている。
この花は水生のヒヤシンスだ。ガイドによると、毎年末にかけてどこからともなく姿を現し、数ヶ月ののちに忽然と姿を消してしまうらしい。
人間の生活と自然が一つに溶け合っているこの美観に、私はいたく心を打たれた。ガンビエの景色における自然への無作為は、日本庭園の美は自然を尊重することにあるという我々の常識を、相対化しなければならない気がしてくるほどである。
同時に、三百年も前に内戦と奴隷貿易に追われ、湖上に逃げなければならないほど追い詰められた祖先が打ち立てたガンビエという集落が、幾多の時を経て実に活き活きとした生活の様相を湛えていることに、私は人間のしたたかさというものを感じ、心が震える思いだった。
それから我々は再び船に乗り、集落の中をぐるりと廻った。その間、物資やら人やらを乗せた様々な船とすれ違った。野菜や果物、水を乗せて売っている船が多く、陸でしか手に入らないものをここで売って生計を立てる人が多いのだろう。
そうした船が少しずつ進むたびに、幾多のヒヤシンスの花の上を通り過ぎる。花は船の下でしなやかに折れてはまた水上に姿を現した。この繰り返しの中にガンビエの日常があり、季節があり、歴史がある。
地元民のガイドには集落のことを色々と教えてもらった。ガンビエという名前は、奴隷からの解放・安全・平和を意味していること、長い水上生活の結果、水上の言葉は陸と分かたれ、それぞれタフィンベとフォンと呼ばれるようになったこと、ある細長い水路は、若い男女が夜に愛を囁きあう場になっていること…。
水路を巡っている間、我々は子どもたちに「ヤボ!」と何度も声をかけられたが、それは肌が白い人という意味で、コールアンドレスポンスのように彼らに「メウィ!」と返すのが喜ばれると教えてくれたのもガイドだった。
西アフリカの路上に居ると、我々アジア人は「チャイナ!チャイナ!」と数え切れないほどからかわれるが、ガンビエ人の呼びかけには侮蔑的な調子が感じられないのが意外で、単純に珍しい客人に声をかけてみたいという気持ちが強いのではないかと思った。
ツアーの最後には、別の土産屋に再び案内された。この店はホテル・レストランを兼ねているそうである。この集落に泊まって、日がな一日ぼんやり人の往来を眺めつつ小説でも読めたら、さぞかし嬉しいことだろう。
ここでは猫が飼われていて、日陰でのびのびと横になっているのが可愛らしかった(ひとたび水に落ちたら誰も気付かないのではと不安になるが…)。売店の品揃えは最初の店よりはるかに充実しており、意外なことにガンビエで織られた藍染の生地やら(藍染自体は西アフリカ一帯に伝わっているが、水上村でもしているとは思わなかった)、水生動物を象った小さな金細工やら、手仕事好きの心を捉えるものがいくつかあった。
ガンビエ人が作るものには作為がないから、観光客に慣れてしまった幾多の場所で目に入る土産物と違って、技術的には稚拙であっても素直に良いと思えるものがある。
結局、我々がこのツアーで買ったのは、藍染の生地、ヒヤシンスの茎で出来たペン立て、それから水瓶・鰐を模した金細工だった。
コトヌーのローカルフードを食べる
街中に戻ったあと、空腹だったのでドライバーのカジミールにお願いしてローカルフードの店に連れて行ってもらった。
塀で囲われたオープンスペースに、テーブルと椅子が並んでいるだけの簡素な空間だが、現地の人たちで賑わっている。お店の一角にキッチンがあって、店員が大量の豚肉を炭火で焼き続けている。
カジミールが駐車場で待機していたこともあって、単語を繋ぐ程度のフランス語しか話せない私は注文に苦労したが、そのうち他の客と同じように豚肉のケバブが出てきた。
別皿の付け合わせは紫玉ねぎのスライスである。ケバブと玉ねぎを一緒に口に運ぶとなかなかこれが美味しい。豚肉は通常のケバブとは違ってなかなか歯ごたえが強く、口に含むと最初は少し辛い調味料の味わいと炭火の香ばしさが広がり、噛むと次第に筋から旨みが染み出てくる。
玉ねぎは水で晒してあるようだが、辛みが残っており、脂っこい豚肉をさっぱりとさせてくれる。二人で満足するだけ食べて、お会計は五百円ほどだったと記憶している。
トーゴでも感じたことだが、フランス旧植民地はローカルフードにも手が入って美味しい。同じ西アフリカでも、イギリス旧植民地で食事が美味いという話はあまり聞かないことを踏まえれば、フランスの美食意識は強烈である。
旅の終わり
その後もベナン国内を少し観光して、再び元のトーゴ人のドライバーの運転でトーゴに入境し、最後にガーナまで戻った。ガンビエ以上に心を惹かれるものは無かったから、詳細は書かないこととする。
面白かったことと言えば三つあった。一つ目は、トーゴ・ベナンにはガソリンスタンドが少なく、道端で瓶詰めのガソリンを購入して給油することである。給油の様子を眺めていたところ、車両の後輪からなぜかガソリンが漏れていることが発覚し、運転中に着火して焼死するのではないかと不安になった。
二つ目は、トーゴからガーナに入国する際に、ガーナ側で警備に当たっている兵士たちに、私のリュックに挿していたトーゴの木彫りの男根を見咎められ、「あいつは自分のアレが小さいから嫁さんに木彫りを使ってるんだ!」と笑われたことである。
三つ目は、ガーナの国境でドライバーが発注元の旅行業者と落ち合って報酬を受け取る時に、私たちが車両整備の不備を訴えていたことについて旅行業者から叱責されたところ、それまで「あいつとは兄弟なんだ!」と言い張っていたドライバーが、恐ろしい怨嗟の表情を旅行業者に向けていたことである。
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