港町・エッサウィラの絶品焼きダコと愛すべきおじさん店主–モロッコ食い倒れ紀行④

旅行記

モロッコ食い倒れ紀行:①(フナ広場の屋台)②(ピエールエルメ)③(モロッコ料理の名店)、④(この記事)

路地の交錯する港町・エッサウィラへ

昼下がりのエッサウィラ。

 古都マラケシュを出発した我々は、高速バスで港町エッサウィラに向かった。街と街を繋ぐ幹線道路は綺麗に整備されているが、モロッコはひとたび都市を離れれば砂漠の世界で、砂の丘が見渡す限り広がっている。

 時々家畜を連れた人が歩いていたり、農作物が脇毛さながら局所に密集して植わっていたりする様をぼんやり車窓から見るのは楽しかった。途中の小休憩を挟み、高速バスは二時間半ほどで目的地に到着する。

エッサウィラの典型的な路地。

 エッサウィラは地中海の香りを漂わせる街である。内陸の都市と比べて気温は涼しく、ひんやりとした心地よい潮風がよく吹いている。野良犬・猫の数もマラケシュより格段に多く、昼下がりに到着した際には皆日陰で気だるげに横たわっていた。

 多くの建物の外壁が青と白の塗装で統一されており、さながら頭の中にあるギリシャの小島のイメージを具体化したかのようである。昭和の人間がお見合い写真を見てから実際の人物に会った時のように、ミコノス島に行ってしまえばエッサウィラは見劣りしてしまうのかもしれないが、私にはこの街にこぼすべき不平はない。

夜の路地に生まれる即席魚市場。

 この街の中核は城壁に囲まれた小さな旧市街で、そこでは細かい路地が老人の皺のように無数に繋がっており、マラケシュ同様、その一つ一つが豊かな表情を見せてくれる。我々が驚いたのは旧市街で最も大きな通りの一つだった。

 夏の空に長く君臨した太陽がようやく沈んだ夜九時ごろ、至近の漁港から上がったばかりの魚介が次々とリヤカーで運ばれてきて、辺りは俄かに活況を呈する。通りの中央に次々と発泡スチロールの箱が並び、その上には例えばタチウオが載っており、持て余した長い尾を石畳に垂らしている。

 現地の人たちは老若男女を問わず、買い物籠を掲げて続々とその発泡スチロールの辺りに群がる。その横では、おじさんがリヤカーにリンゴやらチェリーやらを積み込んで売っている。

 煌々としたネオンの中にあらゆる欲望が浮き彫りになるアジアの夜とは違い、この通りでは健全な生活の賑わいが宵闇の中で線香花火のように煌めく。健康的で、実に新鮮な光景だ。

愛すべきおじさんの作る焼きダコ

Restaurant Amira.

 私がこの街で忘れがたい食事にありついたのも、こうした無数の愉快な路地の一つにおいてである。ある小さな店が狭い通りにドアを開け放ち、スピーカーで70年代アメリカのフォークソングを流し、道端には看板を出してテーブル席も置いている。お店の名前はRestaurant Amiraだ。

 この店を切り盛りしているのは、高齢に差しかかろうとしている男性一人である。もともと下調べで名前を知っている店だったが、いざ目の前を通りがかったら旨い料理が出てくることを直感したので、我々夫婦はテーブル席に座ることにした。

 子どもたちが近くで集まって携帯ゲームに興じていたところ、店主はにこやかな表情でその中の一人を手招きし、耳打ちしてから他の子に見えないように小銭を握らせて、別のテーブルで先客の残した皿を片付けさせていた。

 メニューを尋ねると、店主は「今日は漁が休みだったのでタコしかない」と言うので、選択の余地もなくタコを注文した。実は私はかなりのタコ嫌いで、旨味に欠けてグニグニしている身を噛み下すのが大の苦痛なのだが、港町の新鮮なものなら大丈夫かもしれないと思い、この店に一縷の望みを託すことにした。

 私が調理の光景を眺めるのに興味を持っていることに気付くと、店主は気さくに「好きなように見てくれ!撮ってくれ!何の秘密もないけど!」と言ってくれたので、お言葉に甘えてじっくり観察させてもらった。

 たしかに、店主の言葉どおり、タコの足と刻んだにんにくをただ鉄板でしっかりと焼いて、最後に刻んだイタリアンパセリを振りかけ、別のフライパンで付け合わせのひよこ豆と野菜を調理しているだけなのだが、にんにくの香ばしい匂いが次第に漂ってきてお腹が空いてくる。

 ジュワジュワという温かい調理音に聴き入っていると、料理がシンプルなこともあって瞬く間に我々の食事がサーブされた。早速タコを一口齧ってみると、シルクのように滑らかな身と、よく焼けてカリカリした吸盤が食感において好対照をなしているし、ペペロンチーノさながらニンニクとパセリが食欲をそそる香りを放っていて実に美味しい!

 正直に言えば、タコがこれほど美味しくなりうる食材だとは思っていなかった。新鮮なタコの味わいは、正しい火加減で丸ごと蒸し上げた上等な若鳥に似ていて、口内で柔らかく割ける肉の繊維の中に旨味が詰まっている。付け合わせのひよこ豆とクタクタになった野菜との相性もなかなか良く、夢中になって食べきってしまった。

 食後のミントティーを飲む頃にはとっぷり日が暮れて、路地はランプの灯で優しく染め上がっている。店の照明と街灯が青壁の建物をやわらかく照らして、どことなくゴッホの「夜のカフェテラス」を眺めている気分になる。

 店主にタコが美味しかったことを伝えて、お互いの身の上話に興じた。おじさんはモハメドという名前で、ちょうど還暦を迎えたばかりである。

 聞けば、若い頃に首都ラバトの大学でスペイン語を学んだのち、ずっと野菜の卸売をしていたが、七年前に思うところがあって退職し、故郷のエッサウィラに帰ってきて小さなレストランを始めた。人生と音楽を愛しているので、今の生活を本当に楽しんでいるという。

 彼が子どもと触れ合う姿も、路地に向けて好きな音楽を流している様も、極めて簡潔なそのタコ料理の美味しさも、その言葉を如実に証明していた。

 モハメドは生きることの達人である。きちんとした教育を受けてから一つの会社に長いこと勤めたあと、彼は人生にとって本質的なものがそうした外形的な立派さではなく、むしろ自分の身の周りのことを知悉し、そして愛していることだと気付き、実際に齢五十を過ぎてから、魂にとって無駄なものを削ぎ落とす行動に出たのだ。

 自分の現状に満足していない人は山ほど居ても、とりわけ年齢を重ねてから本当の人生を始めようとする勇気のある人は少ない。だから私は彼を尊敬している。

 あちこちを行き来して綱渡りのように日銭を稼いでいる自分の今後を考える時、モハメドの愛する素朴なフォークソングが聴こえてくる。

 

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